富士山の歴史・概要

富士山の歴史・概要

今も昔も威厳を示し続ける富士山

噴火の歴史

富士山の標高は3776mであり、日本最高の高さを誇ることは周知の事実です。初めは今ほど大きな形ではなかったことでしょう。長年に渡って噴火を繰り返してきたことで、今の姿になったのです。誕生は今から約10万年も前に遡り、古富士火山と新富士火山の二世代に渡って火山活動を続けてきたことで、今の形になったのです。富士山の最期の噴火は1707年に起こった宝永大噴火であり、富士山の山麓には火山の跡を見ることが出来ます。

美しい形の富士山

富士山の姿を思い浮かべてみてください。美しく裾が広がっていることが分かるでしょう。これは裾の広がりを妨げる山脈が周りにないからであり、富士案の美しさは奇跡的とも言えます。

植物の分布

富士山は標高が高いので植物の垂直分布(低い場所から垂直に高い場所へ行った際の植物の種類の分布)が観察しやすく、植物の研究にも貢献してきました。このため、富士スバルラインを車で移動していくと、標高が高くなる、あるいは低くなるにつれて景色がどんどん変わっていくことに気が付きます。

 

料金所から1600mの地点まではアカマツやコナラなどの林が続き、その地点を越せばシラビソやコメツガの林に変わり、やがてナナカマドやハクサンジャクナゲが見えてきます。五合目に至ると砂礫混じりの高山帯に差し掛かり、オンタデやフジイタドリやカラマツを見ることが出来ます。

信仰の対象

浅間神社

古代の人々は火山活動を神秘的な働きと捉え、噴火を繰り返す富士山には神が宿っているとして畏れました。富士山の麓の浅間神社は、噴火を鎮めるために建立された神社です。

 

平安時代後期となると富士山の火山活動は収まり、霊峰と崇められていた富士山は修験道の道場となりました。室町時代の後半になると修行僧だけではなく一般庶民も登拝するようになりました。次第に富士山信仰というものが確立されて行き、多くの人々が富士山を登ったり、また富士五湖を訪れたりと、霊峰への巡礼をおこなうようになりました。

修験道

 

霊峰であったため、女性は富士山へ立ち入ることを禁じられていましたが、明治になると女性の登山も解禁され、また鉄道や道路網が発達したことで遠方の人も比較的気軽に登山に訪れるようになりました。

 

富士山と芸術や文学との結びつきにも注目すべきです。絵画や和歌などの創作活動に、富士山が度々登場します。たとえば8世紀に編纂された万葉集にはすでに富士山のことが詠まれており、文学作品にもよく書かれています。竹取物語や古今和歌集、伊勢物語などの古典作品にみることができ、松尾芭蕉の俳句、夏目漱石の文学作品などにも取り上げられています。

 

富士山を描いた絵としては、真っ先に葛飾北斎の浮世絵・富岳三十六景が挙げられます。また歌川広重は富士三十六景や東海道五十三次で富士山の様々な姿を描き、これらの絵はゴッホやモネなど、海外の画家にも影響を与えました。

 

時代が移り科学が発達しても、富士山は古今を通じて日本人に対して威厳を示しています。